2009年4月2日木曜日

出河 雅彦「ルポ 医療事故」 朝日新書

朝日新聞編集委員の著者による,医療過誤事件のルポタージュ。大きく報道された事件を中心に,主に患者側に対する取材を通して書かれた書籍で,かなりの力作です。字が大きく内容も薄い新書が多い中,400ページ程度と,新書としてはかなりの厚さがあり,内容的にも十分満足できる本でした。

最初の三分の一は,明らかに「事故」ではなく「事件」と呼ぶべき,悪質なケースについてのルポです。この部分を読むと,なんてずさんな医者が多いのか,と思わざるを得ません。

しかし,この本の残りの三分の二を読み,また医療過誤事件を扱った経験,身の回りの医療従事者から聞いた話,さらに最近良くやっている医療現場の崩壊を扱ったドキュメンタリーなどから得たことを考慮すれば,世の中の殆どの医者はとても頑張っていることがわかります。

本来は弁護士等どのような職業でも存在するヒューマン・エラーが,結果として人間の生死に関係してくるという医療という職業の性格上,重大な結果をもたらしてしまうことが多く,それが医療過誤としてクローズアップされているに過ぎないのです。

そうは言っても,ミスがあったとしてもそれが生死に結びつくことの少ない弁護士業務に対し,ミスがあれば人の命を奪うこともある医療は,ミスをシステム的に減らすべく,多大な努力していかなければなりません。この本は,本来日のあたることの無い,医療業界のそのような努力にも触れられています。

弁護士として医療過誤事件を扱っていると,病院やそこで働く医療従事者に対する責任の追及をどのような形ですべきなのか考えさせられることは多いです。またミスに対する責任追及という弁護士の仕事は,ミスを予防することには殆ど役立っていないのではないかということも度々考えさせられます。

この本は,そのような思考の一助となる,良い作品でした。星五つ。



【☆☆☆☆☆】

2009年3月24日火曜日

郷原 信郎 「思考停止社会」 講談社現代新書

著者は、東京地検特捜部の検事などを歴任した元検察官の弁護士です。コンプライアンスの第一人者で,テレビや雑誌、新書など、様々な場面で意見を発信しています。この本もおそらくその一環で,行き過ぎた日本の「法令遵守」社会を批判するものです。

この本で取り上げられている「法令遵守による思考停止」の例としては、食品偽装問題や耐震偽装問題、社保庁の年金記録改ざん問題などがあります。それらを通じ、著者は一貫して、盲目的な法令遵守が社会を駄目にするということを主張しています。

加えてもうすぐ開始される裁判員制度についても、「裁判員の参加する刑事裁判に関する法律」が施行されてしまったため、それに裁判所や検察庁、法務省が盲目的に従ったために出来てしまった制度だとして批判しています。

個人的には、このような著者の考え方には、半分賛成・半分反対といったところでしょうか。

確かに様々なニュースに接していると、盲目的に法令に従うことがそれ自体目的となってしまっていることが多いとは感じます。この点、筆者の意見には共感を覚えます。

ただ一方で、それをどのように変えていくべきかという点では、筆者には同調出来ないように思います。筆者は盲目的な法令遵守に代え、法令を適切に使いこなすことをこの問題に対する解としています。

しかし本来「法令を適切に使いこなすことが出来る人」であるはずの裁判所や検察庁が、法令遵守したために裁判員制度が出来てしまったとする著者の主張に合わせると、もはや日本には「法令を適切に使いこなすことが出来る人」は殆ど存在しなくなってしまうように思います。

私個人としては、筆者のように明快な解を出せる訳ではありませんが、「法令遵守」は大事にしつつ、対象となる「法令」を、適切な規範へと変えていくことこそが重要であり、そこに多くの人が参画していくことが必要なのではないかと思います。

そして、市民による司法参加への意識を高める制度として、細かい制度上の欠陥はあるかもしれませんが、やはり裁判員制度は日本にとって必要ではないでしょうか。


色々書きましたが、さすが郷原氏ということで、星五つです。



【☆☆☆☆☆】

2009年3月22日日曜日

篠田 博之 「ドキュメント 死刑囚」 ちくま新書

雑誌「創」編集長の著者が書いた、死刑囚についてのレポート。既に死刑に処せられた宮崎勤元死刑囚と宅間守死刑囚との多年にわたるやり取りを元に、日本における死刑囚の実態を報告しています。

筆者は雑誌「創」の取材と通して二人の元死刑囚と関わりを持つようになり(もしかすると逆に、筆者と元死刑囚の関わりが、逆に「創」の記事となっていったのかもしれませんが・・・)、頻繁な手紙のやり取りを通して、彼らがどういう人間であったのか、ということを明らかにしようと試みます。

私がこの本を読んで感じたのは、著者の意図するところかどうかはともかく、死刑囚となるような人(世間一般には到底認容できない、重大な犯罪を犯す人)はやはり、一般的に理解しうる思考をもつ人ではない、ということです。

ただそう考えると、世間一般から理解し得ない思考をもつ人を、世間一般の基準に照らしつつ、法で裁くということになりかねません。あちら側のルールしか持たない人を、こちら側のルールで裁いているのです。それは許されるのか?

死刑という刑は、あちら側のルールしか持たない人を矯正してこちら側のルールに近づける、という努力を放棄して、こちら側から排除する刑です。市民感情からすれば、それは許容できる(望ましい、とまで言えるかもしれません)にしても、文明社会がそれを行ってしまっても良いのでしょうか。私にはわかりません。

まだ死刑制度を存続すべきか否か、確固たる自分の意見が無い私にとっては、色々な事を考えさせてくれる(結論には遠のいた気がしますが・・・)本でした。星三つ。



【☆☆☆★★】